じかんどろぼう

四十物茶々(あいものちゃちゃ)です。ゆっくりとSSを上げていきます。

【100日経っても幸せなヤツ】93日

昨日の残りのアップルパイを齧りながら、生き物はぼんやりと外を眺めていた。
谷の底は、地上よりずっと空気が澄んでいて、美味しい。
音も静かで、燃えたり、ずっと雨が降ったり、何かに襲われることもない。
幸せだなと家の前の芝生に横になると、生き物の熊のような腕にドラゴンがポスッと顎を乗せた。

甘えているらしい。

よしよしと空いた手でドラゴンのマズルを撫でてやると「ぐるるるる」と喉が鳴った。
すくすくと笑う生き物の背後から「随分楽しそうだね」と天使が声をかけた。
四枚の羽根が興味を示しているのか、ぱたぱたと細かく動いている。
天使の右肩を占領している猫は「にゃう」と小さく鳴いた。

【100日経ったら幸せなヤツ】92日目

鼻孔一杯に甘い香りが漂ってきて生き物は目を覚ました。
ベッドの上で伸びをしている生き物に気付いたのか、膝立ちになった天使が「おはよう」と笑う。
手元では、リンゴが煮詰められている。どうやらこの匂いで起きたらしい。
「もう少し時間がかかるから寝てていいよ。起きたらアップルパイを食べようね」
天使の笑顔はどこまでも明るく澄んでいる。
生き物はその言葉に甘えて再び横になった。目の前では猫が小さく丸まっている。
随分と信頼してくれたらしい。
生き物は増えた仲間の温かさに心がほっこりとするのを感じながら目を閉じた。

【100日経っても幸せなヤツ】91日目

生き物の小屋に入った天使は、様々な鉱物や薬草を見て「君は博識なんだね」と感心した様子だ。
少し天井が低いらしく、中腰になっているところを見て生き物は天井を上げようか?と画策する。

久しぶりに藁のベットに寝転がる生き物の両側に猫と天使が寝転んだ。
並んで同じように伸びをしてからキュッとまるまる。
久しぶりの我が家の匂いにうとうとしだした生き物の胸をとんとんと天使は優しく叩いた、
そのリズムは心音の様で心地よい。
瞼が重くなっていく生き物に天使は一言「おやすみ」と囁いて自分も瞳を閉じるのだった。

外では、もう家に頭すら入れなくなったドラゴンが猫のように丸まって眠っている。
今日はもう休もう。
外を知ったら沢山の事があった。
全てを整理するには時間がかかる。
ゆっくりと寝息を立てる四匹の生物を包む谷の底は全てを明確にするように明るかった。

【100日経っても幸せなヤツ】90日目

燃える森のクレバスを降下していくドラゴンの腹側で、天使は「ほぉお」と歓声を上げた。
鉱物が太陽の光を反射して輝き、谷全体を明るく染め上げている。
虹色の泡が大地の暑さを抑えているらしい。

「こんな所があったのか」

まず初めに天使を小屋の前に下ろしたドラゴンは、腹這いになり生き物と猫を下ろした。
久しぶりに大地を踏みしめる猫が大きく伸びをする。
天使は嬉しそうにくるくると回っている。
生き物はそんな天使の羽根を摘まんで引っ張った。
天使が「なんだい?」と首を傾げる。

「帰らなくていいのか、と聞きたいのだろう?私はね、ずっと逃げ出したかったんだ」

生き物の脳裏には先刻の泣き叫ぶ天使の姿がこびり付いている。

「あの子には悪いことをしたと思っている」

生き物の考えが分かったらしい天使は、生き物を抱きしめて大きな羽をぱたぱたと動かした。

「私を匿って」

懇願する天使を無下にも出来ず、生き物は仕方ないなと耳を下げた。

【100日経っても幸せなヤツ】89日目

視界の隅で光るものを見つけて首を向けた生き物の前に天使が飛び出した。
飛んできた矢を叩き落として「急ごう」とドラゴンの手を握る。
天使の両手を握ったドラゴンは、背中に生き物と猫を乗せて高速で飛び始めた。
生き物は懐に猫を入れて、弾き飛ばされないように背中にしがみつく。
ドラゴンは目の前に迫った天使の壁を突破して山を越えていく。

遠くで先ほど飛び去った天使の叫び声が聞こえた。
生き物はゆっくり振り返るととても悲しそうな彼の顔が見えた。

【100日経っても幸せなヤツ】88日目

四枚の羽根の天使とドラゴンが並んで空を飛んでいる。

天使は「君たちには名前はあるのかい?」と問うた。
猫も、ドラゴンも、勿論生き物にも名前はない。
名前がないということにも慣れてしまった。

「そうか、でも大丈夫。君たちを見ている人たちが名前を付けてくれているさ」

天使は不思議なことを言ってフフフと笑った。
天使に名前を問うても「私もないんだよ」とはぐらかされるだけだった。
名前がないもの同士谷の底に向かって飛んで行く。

途中、きらりと光るものを見つけて生き物は反射的に視線を向けた。

【100日経っても幸せなヤツ】87日目

天使は、人間や魔物がいかに愚かかを生き物に説いた。
しかし、生き物の記憶の中には人間がいない。
魔物もあの洞窟の化け物しか知らない。
首を傾げる生き物に「君は本当にどこから来たんだい」と天使は笑った。
天使の色白で細い指が生き物の毛皮をもしゃもしゃと遠慮なく触っていく。

生き物は身振り手振りで谷の底からやってきたことを天使に伝える。
天使は話の半分も分かっていない様子だったが、「そこは美しい所かい?」と問うた。
天界なんてもっと美しいだろうに。
生き物の記憶の中の天界は人間の創作物だったが、美しい神殿が鎮座していた。

「なぁ、私も連れて行ってくれないか?」
「にゃう」
生き物の懐から顔を出した猫が怪訝そうに声を上げた。
「大丈夫、君たちを悪いようにしたくないだけだよ」
天使は四枚の羽根で生き物と猫、ドラゴンを包み込んだ。