【100日経っても幸せなヤツ】12日目
谷の底に湿気た風が吹き込んできたのは午後を過ぎた頃だった。
そろそろ季節が変わるらしい。
湿度を含んだ風が生き物の毛をうねらせる。
谷の底は基本的に湿度も、温度も一定に保たれているが時々こうして外界の匂いが混ざる時がある。
生き物はぶるぶると体を震わせて空を見上げた。
宝石のように輝くクレバスの先に薄い青色が覗いている。
ふわりふわりと自由にその青を泳ぐのは雲というらしい。
生き物はずっとこの谷の底で暮らしてきた。
出るには谷は高すぎて、平和すぎた。
生き物は今の生活に満足している。
だが時々、この谷の外に出てみたいとも思った。
見上げる空は谷の色より淡く、穏やかだから。
生き物は新しい色を見てみたいと思った。
しかし、谷は高い。生き物はゆっくりと谷の奥へと歩いて行った。